主人公は、幼い頃の高熱がきっかけで人の「後ろにいる亡くなった人」と交信できるようになってしまった男性。「お金になるから」と霊視を仕事にさせられるが、「見えてしまう辛さ」ゆえに、霊能から逃げたい人生を送っている。
実は、この映画を勧めてくれたのは、この主人公そっくりな霊能がある友人。彼女を含め「霊能を捨てられるものなら捨てたい」と言う人には何人も会ってきたので、主人公が「霊能は才能じゃない。呪いなんだ。」と痛切に叫ぶシーンに、聞き覚えが(涙)。
映画の中では、接近しかけた彼女の性的虐待を受けた過去を「見て」しまったゆえに去られてしまう、というストーリーが描かれていました。それ以外にも、心の中の最もネガティブな思いを突き付けられ続けるというのは、つらいことだろうと察せられる展開です。
私自身には霊能はないのですが、霊能のある方が周りに大勢いるので、これはすごいリアリティです。同じ能力のある方、身近にいる方にとっては、「そうそう、そうなの!」「よく描けてるな〰」とびっくりの内容です。
ヒロインは、臨死体験で見たビジョンが脳裏を離れず、売れっ子キャスターという仕事をなげうって、臨死体験についての本を書く女性。「来世」=ヒアアフターを否定するキリスト教圏の価値観、周りの人間の無理解に苦しみながら、多くの人を看取る中で臨死体験の「事実」を発見した女医を知り、取材を申し込むという筋立てです。
私自身には臨死体験はないのですが、臨死体験シーンのCG映像はゾクゾクするほどよくできていると思います。白いもやのような中に、影のような人々がぼんやり浮かび、「距離も空間も時間もない世界」を描こうとしているらしいのですが、なんとも幻想的♪
この「見えた世界」=ヒアアフターが、霊能者主人公が霊視する世界と同じであることが暗示されているようです。
そしてこの二人を結びつける役を果たすのが、事故で一卵性双子の兄を喪った少年。深い絆で結ばれた兄弟を思うあまり、死後の世界=ヒアアフターとつながることのできる霊能者を探し回り、インチキな霊能者たちに翻弄され失望しつつ、主人公とめぐり合う。そして、何も言わなくとも、亡くした身内が「数分差で生まれた双子の兄」ということを看破し、「自分以外決して知り得ない出来事」を語ったことで、本物の霊能を確信する。
少年は「偶然の出来事」によって、間一髪で大事故に巻き込まれず済むのですが、亡くなった兄が「守った」ことが明らかになるのですね。「命拾いをした」体験をした人が、時に語っていることです。
私は大切な身内を喪ったりその存在を感じたりしたことはないのですが、このような話は直接間接に枚挙にいとまがないほど多いです。
少年が霊能者を訪ね歩くシーンでは、「もっともらしい話を作る霊能者」「小難しい理屈をこねる霊能者」「古代のあやしい儀式にのめり込んでいる霊能者」などが象徴的に登場して、興味深いです。また、主人公を利用して「一儲けしよう」としている兄を描いています。作者は明らかに霊能や霊能者に好意的なのですが、一方では「うさんくさい霊能者」「儲け主義の霊能者」たちが世に多くある現実を見据えてようです。
ラストは、主人公とヒロインが巡り会い、お互いを分かりあいます。霊能から逃げようとして苦しんだ主人公と、臨死体験を否定されて苦しんだヒロインが、「自分たちの見たもの」=ヒアアフターは確かにあって否定されるものではない、と確かめあい、死後の世界=ヒアアフターに初めて前向きになれたことを象徴する場面で終わっています。
これは、クリント・イーストウッド監督のメッセージではないかと思うのです。何らかの形で「あちら側」=ヒアアフターを体験してしまった人にとっては、それは紛れもない現実なのだと。キリスト教文化圏では「ない」と言われている死後の世界=ヒアアフターは確かに存在し、もっと真摯な目を向けて前向きに知っていってよいのでは…と。
私は前世療法という形で、おぼろげながら、初めてその世界=ヒアアフターの扉を開けました。
主人公の二人のように、その解明や一般の理解へ至る道は、「始まったばかり」です。でも、少なからぬ人は一歩踏み出した。私も、その二人と同じ気持ちで、一歩を踏み出しているところです。
映画「ヒアアフター」、超おすすめです!
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