名温泉・七沢荘は、昨年亡くなった名物の先代・中村重男さんが作ったものです。ビッグな人物にありがちな、天国と地獄のシーソーゲームのような波乱万丈の人生だったことが、自伝に書かれています。その個性の強さから、熱烈なファンも多くいたようです。
私は、亡くなる数ヶ月前、ふと思い立って七沢荘を訪れた日がありました。そこで、初めて故中村さんにお会いしました。
うちから七沢荘までは1時間半ほどかかります。最寄駅からもバスで20分ほど。何がどうしたのか、今思うと導かれた?招かれた?としか思えないような、「思いつき」で一人ひょっこり温泉に入りに行ったのです。時間も交通費もかけて何故??今思うと、中村さんに会いに行ったとしか思えません。
一人露天風呂を十分楽しんだ後、七沢荘名物の縄文気功というのを受けてみたいなー、と思って聞いてみると、予約は一杯とのこと。ただし、狭めの和室に10人くらい?集まって、縄文気功の説明やデモンストレーションをやってくれました。それが、中村重男さんとの最初で最後の対面でした。
その時、中村さんは私に向かってほぼ開口一番「いいお尻してるねえ」といきなりセクハラもどき!の発言(汗)。常連さんの中一人だけ新顔でもあり、年齢層高めの中一人だけ若輩者でもあり、いきなり投げられた剛速球を受け止めきれず、目を白黒。ほどなく彼の発言の半分以上は下ネタということが分かりましたが、焦りました。
今思うと、彼は「気が見える」人なので、「ははぁ、今日はこのお初のお嬢ちゃんにツッコミを入れれば、この場は一番盛り上がるかな」と、たぶん「読んで」いたんだと思うんですね。
印象的な、衝撃的な出会いで、心に強く残ります。彼は、こうやって、多くの人の心を掴んできたのでしょうね。
その数か月後、気功の先生・中村康弘師のご義父上、という形で訃報を受け、衝撃を受けました。60代、まだまだ人生これからと思われた年齢、お元気そうな見かけからは、想像もつかなかったからです。聞けば、実際は体調はとてもお悪かったとのこと。
お会いしたのはたった一度でしたが、先生のお身内ということもあり、1時間半かけてお通夜へ飛んで行きました。フナイファミリーをはじめ、すごい数の弔問客で、人望のほどがしのばれました。
縄文気功とは、縄文時代から伝わる気功術…ではなくて(笑)、きっと縄文人がそうしていたように、体が導くまま、痛いところを自然にさすったり叩いたりして治すように、自然に、自分で、体を治そうとする気功、ということで名付けたようです。
手足や、棒、球などを使って、体を「叩く」わけですが、けっこう痛いです(苦笑)。 その代わり、終わった後には、血の巡りがとてもよくなって、スッキリ!なるほど、「原始的」だけどとても自然<ナチュラル>ですね♪
七沢荘ロビーでは、叩くのに使う元気棒、元気玉も売っています。
写真左斜め上に積んである本が、上記「風まかせ 縄文気功と気源石」です。その隣の緑色の冊子は、七沢荘が取り上げられている(私も一時購読していた)「月刊 ザ・フナイ」です。
ものすごく個性が強いけれども、そういう方だからこそ、「天地のエネルギーを感じ」て、パワースポットに巡りあって、素晴らしい波動温泉を作ることができたのでしょうね。
七沢荘を訪れれば、彼の思い、彼の遺したものに、触れることができます。七沢温泉へお立ち寄りの際は、傑物・中村重男さんのスピリットを感じてみてください♪
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