禅宗の食事の作法の一つ、
「五観の偈(げ)」を
最近、毎食前に唱えています。
臨済宗の開祖、道元禅師様が、
食事の際の心構えとして示した
五つの教えです。
愛読している
現代語訳が載っていて、
以前からいたく気に入って
いたものです。
建長寺の座禅会に参加し、
食事の作法なども含めて
ご指導いただいた際に、
改めて思い出しました。
経典もいただいて、
今は毎日それを見て
唱えています。
第一は、「作ってくれた方ありがとう、命を捧げてくれた生き物たちありがとう」。
料理を作ってくれた人、作物を育てたり魚を捕ったり食べ物を作ってくれた人、それを運んだ人売った人、食べるまでに手を煩わせてくださった全ての方々への感謝。
そして言うまでもなく、食べるということは命をいただくということ。動物はもちろんのこと、穀物や野菜に至るまで、一つとして命を奪わぬものはない。命をいただくことへの自覚と深い感謝。
第二は「善いところが一つもない自分であることを自覚して、この食事をいただきます」。
禅宗というのは極端に自分に厳しい。「いいところが一つもない」ってどんだけ自虐的(^^;
昔の中国の逸話で、とある皇帝が禅宗に深く帰依して、多大な寄進をしたり、寺院を建てたりした。禅宗の開祖である達磨大師様に「私の功徳はどのくらいでしょうか?(けっこう徳を積んだよね?褒めて♪褒めて♪)」と聞いたところ、一言「無功徳」と言い放ったそうな。ゼロですよ、ゼロ!
常に常に最も深い謙遜の気持ちを忘れない、決して一ミリたりとも驕りがあってはならない。そんな厳しい覚悟で食事もいただくんですね。
三つ目は、「心を安らかにする薬だと思って、いただきます」。
お腹が減ると、心を乱す三毒、貪りの心、怒りの心、間違った考えが起こる。そりゃそうよね、空腹時にはついイライラカッカカッカして、言わなくてもいいことを言ってしまったり、八つ当たりしてしまったり。人に道に外れたことをしてしまうのも、食べ物ゆえのことも。
ちょっと小腹に何か入れるだけでも、気持ちは落ち着くもの。
四つ目は、「体を養う薬だと思って、いただきます」。
もし、食事を摂らなかったら、痩せ衰えて死んでしまう。体を形作る基本となるものが食事。
飽食の現代では忘れがちだけれども、命を繋ぐために必要だから、というシンプルな事実を忘れてはならない。
五つ目は、「修行に励むために、この食事をいただきます」。
何のためにご飯を食べるの?生きて、修行をするためです!いやー、禅宗、しびれます。イイネ!
皆さんも、禅の心で食事をいただいてみませんか?
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