「祈りは通じる」「愛は伝わる」と言われていますが、
それが「目に見えた」体験をお聞きしました。
ある男性が交通事故に遭って臨死体験します。
体を抜けて、事故現場での一部始終を目撃するんですけれども、 その場にいる人たちの気持ちも分かってしまったそうです。
ほとんどの人は「こっちは急いでるのに…迷惑だな!」などと、
人が目の前で死にかけているというのにまるで自分勝手。 そんな気持ちが見えてしまい、がっかりするやら腹が立つやら。
ところが、後ろの方の車から、虹色の光が出ていることに気が付き
その方の祈りの甲斐あってなのか?
男性は体に戻り、一命をとりとめます。体が回復してから、彼はその女性を探し当て、お礼に行ったそうです。ドア
…という話をスピ友から聞きました。
その男性はサイキックな有名な人なのだそうで(名前は友人も失念)、 もしかしたら有名な話で、ご存知の方もいるかもしれません。 (ご存知でしたら教えてください!)
癌で闘病中の私より少し若いスピ友がいます。と思っていたら、ス
私ももちろんそうしていますが、「見えない」悲しさ、
「届くのかな?」という疑いが脳裏をかすめることがあります。 皆さんの前では言えませんでしたが。 でも、今日、このエピソードを聞いて、自信をもらいました。
難病で寝たきりの母がいます。離れて暮らして、介護にも携わらず
できることは愛を送ることぐらい…サイキックな友人たちにも「気
でも、そんな自分にふっと疑念がよぎることがある。そんなことを
でもこの「虹色の光」の話を聞いて、やっぱりそうしていいんだ、
逆に、「祈り送ったって意味ないよね」などと考えたらそれも伝わ
スピリチュアルに生きるということは、ノンストップで「真心」が
真面目に、祈りや愛、見えないものについて、ちょっと反省した私
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