息子の高校の野球を応援に行ってきました。
バッターボックスに立った子が、次打つかどうか「見える」体験をしました。
梅雨明けの炎天下。生徒も保護者もたくさん来ていました。応援団、吹奏楽、メガホン叩いての声援。活気に満ちています。
私は少し遅れて5回くらいに現地に着きました。何打席目か、バットを構えている子を見て「ああ、この子は打つ!」とハッと感じたのです。
その子は二塁打だったかな、クリーンヒットを飛ばしました。分かった感覚が面白かったので、次から打つかどうか予測をしてみることにしたのです。
興味深いことに、構えた感じでだいたい分かるのです。「ああ、ちょっと萎縮してるな」とか「やる気満々だけど空回りしてるな」とか「余裕があって落ち着いているな」とか。萎縮してる子はファウルの後に三振、空回りしてる子は遠く飛ばすけど凡打、余裕がある子はヒットなど。
たぶん「気迫」のようなものを見ていたんだと思います。剣豪どうしの試合では、剣を構えた瞬間でお互いに勝負が分かると聞いたことがあります。勝負は戦う前から決まっていると。それに似た感じがしました。
私は普段スポーツはほとんど見ないし、野球のことも分からないのですが、スポーツは思っている以上に精神戦なんだなあということが分かって面白い体験でした。
思うに、サイキックな「見える」人や「予知」ができる人というのは、これの延長なんじゃないかなあ。私は、このような見えない世界を感じる能力は誰にでも本来備わっていて、使って行くうちに発露されていくのではないかと思っています。
たとえば女優やホステスさんを街中を歩く女性から見つけ出すスカウトマン。たとえば美術品の真贋を見分ける鑑定家。普通の人には分からない違い、「見えないものを見る」ことができている。先に挙げた剣豪もそうですが、職業柄鋭く磨き上げているからと言えるのではないでしょうか。
今回、このように「見えた」感じは生まれて初めてで面白かったのでこうやって記録に残しておきますが、たぶん、私も少しずつ変わってきているのではないでしょうか。わくわく♪これを磨き上げていくと競馬の予想もできるのかな?(笑)
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